【1分でわかる】普天間基地移設問題
沖縄県にある、米軍普天間基地の辺野古への移設をめぐって、沖縄県の翁長(おなが)知事と政府との対立が深まっています。
工事を許可した区域外にブロックが落とされ、珊瑚礁が損傷したことを理由に調査作業の停止を求める翁長知事と、「粛々と工事を進めるのみ」とする政府。
では、どうしてここまで問題がこじれてしまったのでしょう。
今回は普天間基地の移設問題についてわかりやすく解説します。
普天間基地の成り立ち
普天間基地の歴史は、第二次大戦中、宜野湾に上陸したアメリカ軍が、本土攻撃の拠点として普天間に飛行場を建設したことに始まります。
戦後、占領軍がそのまま普天間を在日米軍基地とするのですが、もともとその土地に住んでいた住民たちは、自分たちが住んでいた場所が基地になってしまったので、仕方なくその周りに住居をかまえます。
さらに、米軍による基地周辺のインフラ整備や、米軍相手の商売や雇用が発生することで、さらに基地周りに多くの人々が住みはじめました。
確かに、基地周辺の騒音・振動問題や、一部の無法な米兵による治安の不安を抱えていたことは事実ですが、基地があることで享受しているメリットもあり、周辺住民は基地と折り合いをつけて生活をしていました。
基地への不安が頂点に
しかし1995年、米兵3人による少女暴行事件という痛ましい事件が発生しました。
この事件を受け、基地周りに多くの住宅や学校が密集し、「世界一危険な基地」と呼ばれていた普天間基地への沖縄県民の不安は頂点に達し、基地移設を求める声が高まりました。
そこで1996年、日米政府は普天間を返還し、基地を別の場所に移設することで合意します。
その移設場所に選ばれたのが、民家が少なく、海に突き出しており、騒音や安全性を確保するのに一番適した場所である辺野古でした。
その後、2006年に移設へのロードマップが日米で発表され、そのまま移設に向けた工事が着々と進められる予定だったのですが。。。
鳩山内閣による迷走
ここで現れたのが、民主党政権の発足により誕生した鳩山内閣です。
政権奪取に成功して、テンションの上がりきった鳩山総理は
「普天間基地は、最低でも沖縄県外に移設するポー!」
と無責任な発言をします。
それを受けた沖縄県民も
「エイサー、県外に基地を移設してくれるんねー。それは助かるさー。」
と期待してしまいます。
しかし、鳩山総理に深い思慮があったわけではなく、あーだこーだと、かき回したあげく結局
「沖縄県外への移設は無理ポ。やっぱり沖縄県内に移設するポ」
と県外移設を撤回します。
それを聞いた沖縄県の人たちは
「は? 俺らもう、すっかりその気になってたさー。いまさら無理ってどういうことさー。お前のせいで泡盛がまずいさー。」
と怒り心頭。そりゃそうですよね。
そして、政権は再び民主から自民に移り、安倍内閣と県内移設の容認派であった当時の仲井眞(なかいま)沖縄県知事との間で、辺野古の埋め立てが承認されます。
しかし、一度火がついた県民の怒りは収まりません。
辺野古周辺の環境や生態系の破壊を理由に、移設反対運動が繰り広げられます。
さらに、2014年の知事選で移設反対派の翁長氏が当選し、移設に反対する機運がさらに強まりました。
ただ、政府としては
「いや、もう決まったことだしwww、今更反対って言われてもwww」
と、強固な姿勢を崩さず、それに反発する翁長知事が何とか理由をつけて移設を中止させようとしている。
という状況です。
無責任な発言により移設をこじらせた鳩山さんの罪は大きい
基地移設問題については、確かに沖縄の綺麗な海や、そこに住むジュゴンなどの生態系に深刻な影響を及ぼす可能性があります。一方、中国に対する防衛ラインとして沖縄の米軍基地が重要であることも事実です。
いろいろ複雑な事情が絡み合っており、非常に難しい問題ですが、問題をここまでこじらせる大きな原因となったのは、鳩山元首相の無責任な発言によるものです。
またこのナーバスな時期に、政府の反対を無視してクリミアを訪問するなど、ちょっと一般人には理解に苦しむ軽率な行動を取り続ける鳩山さん。
「豆食って寝てろ」
ほんと、そう思ってしまいます。
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