「もうギブ」ついにヤマトが悲鳴。アマゾンが抱える『星新一』的問題。
僕がまだ子供のころ、子供向け雑誌には「未来の世界はこうなる!」といった特集記事がよく組まれていた。
その記事の中で描かれる未来の世界といえば、人々は体のラインがくっきりと出るピッチリとしたタイツ状の服を着て、空飛ぶ車が透明なチューブの中を走り、お手伝いロボットが一家に一台あるというのが定番であった。
さて、それから30年あまりが経過した現在、実現しなかったものがある一方、実現したものも結構ある。
現実のものとなった「未来」
例えば、スマホなどは、昭和時代の未来予想を遥かに超えたレベルで発展を遂げた。
また、チューブの中は走らないまでも、車の自動運転などは、ほぼ実用化の段階まで来ている。
その他に、昭和の未来予想でよくあったのが、未来は家にいるだけで買い物ができる、というものだ。もちろん当時からテレビショッピングや通信販売といったものは存在したが、未来ではそれらがさらに進化し、テレビを見ていて、この商品が欲しいと思ったら、テレビの横にあるボタンをポチッと押すだけで、その商品がテレビの横に設置されているダクトから即座に飛び出してくるというのだ。
純粋な少年だった僕は、このような未来予想を眺め
「未来マジやばい」
という漠然としたワクワク感を抱えながら、来るべき未来に心を踊らせ、キン消し遊びに興じていたわけである。
さて、この未来のショッピングであるが、30年後の現在、アマゾンなどのネット通販の発展により、ほぼ現実のものとなっている。
アマゾンが扱う商品は日本だけで2億品目ともいわれており、「ポチる」の言葉通り、家にいながら指先を少し動かすだけで、ほぼ全ての商品が、最短で1時間で自宅まで届いてしまう。
まさに少年であった僕が、まいっちんぐマチコ先生に股間を熱くしながら夢見ていた未来である。
しかし、恥ずかしさのあまり学校のトイレでウ○コをすることができず、授業中もずっと
「神様、もう2度と悪いことはしませんから、このお腹の痛さを無くしてください!お願いです!!助けてください!!!」
と神に祈りを捧げ続けるほど純粋であった少年の僕には予想だに出来なかった。
便利な未来のショッピングの裏に、配達員の方々の過酷な労働環境が存在するなどということは。
アアマゾンが抱える『星新一』的問題
ニュースなどで報道されているように、ネット通販の発展により、宅配すべき荷物が爆発的に増加し、宅配業者が悲鳴をあげている。
2013年には佐川急便がアマゾンの配送から完全撤退し、その後アマゾンの配送の大多数を引き受けていたヤマト運輸も、もう限界、として時間指定配送の見直しや、配送料の値上げを検討している。
その便利さゆえ、僕もアマゾンにはいつもお世話になっている。ただ、こういったニュースを目にするたびに、いつも家に配達に来てくれる配達員の方の顔が目に浮かび、アマゾンでポチるのをためらってしまう。
「うーん、さすがにこんな文房具一個を配送料無料で配達してもらうのは。。。」
と気が咎め、近くのスーパーまで買いに行こうか。。。となるのである。
わざわざ出かけず、誰とも顔を合わさず、即座に欲しいものが手に入るという夢の未来であったはずが、まさか「配達員のおじさんに申し訳ない」という、超アナログな感情が障壁になるとは。
まさに、星新一のショートショートのようなオチである。
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