【1分でわかる】中国と台湾。その分裂から現在までをわかりやすく解説
中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が7日、シンガポールで会談した。
1949年の中台分裂以降、両国の最高指導者同士が会談するのは初めて。
この会談では、中国と台湾は分かれることの出来ない『一つの中国』であるという原則のもと、経済・文化交流を拡大することが話し合われ、中台の分裂後66年にして初の歴史的な会談となった。
「あれ?中国と台湾って仲悪かったんじゃないの? いつからそんな仲良しになってんの?」
という人や、
「そもそも、中国と台湾って仲悪いの? っていうか台湾って中国の一部じゃないの?」
という人のために今回は、中国と台湾の関係をわかりやすく解説します。
中国と台湾の関係を、老舗鞄屋のお家騒動に例えてみます
『中国帆布』は、その丈夫さや、シンプルながら使いやすい布製カバンの製造・販売で多くのファンを持つ老舗であった。
しかし、その経営権をめぐって、兄弟間で骨肉の争いが繰り広げられたのである。
もともと、数名の従業員で切り盛りしていた中国帆布の知名度を高め、大きくしたのは兄の力によるところが大きいのだが、最終的に兄は、弟との権力争いに破れてしまう。
中国帆布を追われた兄は、町外れの小さな店舗を買取り、そこで新たに『新中国帆布』の営業を始める。
一方、弟はというと、『中華人民帆布』という新たなブランドを立ち上げ、我こそが正当な『中国帆布』の後継ブランドであり、兄の『新中国帆布』は偽物であると、激しく非難する。
しかしながら、従来からの取引先は、中国帆布時代の兄との取引が長かったこともあり、初めのうちは、兄の店を中国帆布の正当な後継ブランドと見ていた。
ところが、弟が主導する『中華人民帆布』は、巨大企業であるソビエト工業と提携し、その力と規模を急速に発展させる。その結果、従来の取引先も
「お兄さんにはほんま申し訳ないんでっけど、弟さんの『中華人民帆布』がここまで大きくなってしもうたからには、弟さんを正当な後継者として認めるしかないですわ。」
として、『中華人民帆布』を正当な後継者であるとみなすようになる。
ついに世間からも中国帆布の正当な後継ブランドとして認知された『中華人民帆布』は、その巨大な力で
「おい!兄貴!!いつまでも、新中国帆布なんて紛らわしい名前を名乗ってんじゃねんぞ!!とっとと、俺の会社に吸収されてしまえ!!」
と、兄に圧力をかける。
さて、そんな窮地の兄に手を貸したのが、ソビエト工業と並ぶ大企業『アメリカコーポレーション』である。
アメリカコーポレーションの最先端のデザインを取り入れたモダンな兄の鞄は大評判となり、弟の『中華人民帆布』も、うかつに兄に手出しが出来なくなってしまった。
ますます、悪化する兄弟関係。
「今は泳がしてやってるけど、俺は認めねーぞ!!お前の会社も俺の『中華人民帆布』の一部みたいなもんだからな、それだけは覚えておけ!! だいいちお前がまだ『中国』の名前使ってることが許せねえ!!」
と、あくまでも兄の『新中国帆布』を認めない弟と、
「いや、もう『中国』とか正直どうでもいいし。今はもう『TAIWAN』ってレーベル名の方がメジャーになって来てるから、『中国』って名前をお前が使うなって言うなら、別にそれでもいいよ。だから、もう俺たちのすることにいちいち口出ししないで、自由にやらせてくれ。」
と完全に新しい『TAIWAN』ブランドとして、『中国』との関係を断ち切りたい兄の意見は平行線のままであった。
しかしながらここ数年、弟が設立した『中華人民帆布』と、兄が育て上げた『新中国帆布』(今では『TAIWAN』というレーベル名で呼ばれることの方が多い)の両社の関係に変化が起きている。
きっかけは、最近『TAIWAN』の新しい社長に就任した馬永久という男である。
彼は、ますます巨大企業に成長した『中華人民帆布』の経済力に大きな魅力を感じ、彼らに擦り寄る方針に転換したのである。
しかし、この方針転換には、『TAIWAN』の従業員たちからも
「今まで『中華人民帆布』からの嫌がらせにも負けずに、必死で独自路線を貫いて来たのに、それを無駄にする気か!!」
「『TAIWAN』は立派な独立会社だ!!その誇りを失ったのか!!」
「『中華人民帆布』は今は調子のいいことを言っているが、どうせ、我々を吸収する気に違いない!!」
と反対の声も多数上がっている。。。
中台分裂から現在までの時系列
では、国民党と共産党の権力争いにより起こった、中華人民共和国と台湾の分裂から現在までを時系列で見てみましょう。
1895年
日清戦争に勝利した日本は、台湾を清から譲り受ける。以後、第二次大戦終結まで日本が台湾を統治する。
1945年
第二次大戦に破れた日本は台湾を手放し、台湾は中華民国の領土に編入される。
1949年
中華民国における、共産党軍との権力争いに敗れた蒋介石率いる国民党は台湾に逃れ、そこを新たな中華民国とする。一方、中国においては毛沢東率いる共産党が、中華人民共和国の成立を宣言する。
1971年
中華民国(台湾)は国連の常任理事国の座を失い、代わりに中華人民共和国が常任理事国となる。これにより、名実ともに中華人民共和国が『中国』の代表となる。
1988年
李登輝が台湾出身者として初の総統となり台湾の民主化が進む。また台湾として、中国からの完全な独立を望む声も強くなる。一方、中華人民共和国はこれに強く反発し、台湾が独立を宣言した場合、武力行使も辞さないという法律を制定する。
2008年
馬英九が総統に就任。中華人民共和国との対立による緊張の緩和と、台湾経済の発展を促進するため、中華人民共和国との関係性を改善する方針に舵をきる。
一方、台湾国内では、将来的に台湾が中国に吸収されてしまうのでは、と中国との結びつきを強める馬英九の方針に反対の声も多く上がっている。
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